1『人間の条件』(1958)
著者紹介
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ハンナ・アーレント
- Hannah Arendt
- 1906年10月14日 – 1975年12月4日
- ドイツ出身
- アメリカ合衆国の政治哲学者、思想家
- ドイツ系ユダヤ人
- ナチズムが台頭したドイツからアメリカ合衆国に亡命
- 代表作『全体主義の起源』(1951年)
- ナチズムとソ連の全体主義を分析
- 1924年の秋、マールブルク大学でマルティン・ハイデッガーと出会い、アーレントは哲学に没頭する。
- 当時既婚であったハイデッガーとは一時不倫関係にあった
- 1951年に『全体主義の起源』]を著す
- 1963年にニューヨーカー誌に『エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』を発表し、大論争を巻き起こす。
- 1975年12月4日、自宅にて心臓発作により死去(69歳)。
死と活動
人間は死を約束されて生まれます。ただ生きるだけの無意味な人生にしないため、活動を行う必要があります。
活動とは
人間がその個性を生かして新しいことを始めたり新しい何を生み出す、それが活動です。
予想外が始まり
始まりは予想外に起こるものです。逆に予想通りでは何も始まりません。活動は予想外の要素を含みます。
予想外が人生
人間は個々の特性を持って生まれるため、世界に対して予想外の影響を与える可能性を秘めています。その可能性を実現することが活動であり、人生に意味を与えます。
全体主義の否定
全体主義は個人の活動を抑制します。個人が予想外の行動や新しいコトを始めると弾圧するのが全体主義です。しかし全体主義は独裁の一種であり、最大の権力を持った個人の活動がその他の人々の活動を押さえつけてしまいます。
原点回帰で
新しいことを始めるということは、つまり再出発することであり、原点回帰することです。自分の過去の行為から自由になることで原点回帰が可能になるため、束縛からの解放が原点回帰と活動の開始の条件になります。
復讐と許し
復讐は束縛
復讐とは過去に縛られることであり、予想通りの反応です。復讐に捕らわれることで人間は過去にとらわれて新しい活動を開始することができません。
許しは解放
許しは予想外の行動です。許しにより人間は過去から解放されて原点回帰ができ、新しい何を始めることができます。
約束と人間
人間が動物と異なる点の一つは、約束をして守ることです。人間は自由ですが約束をすることで他者とのつながりを持ち、守ることで関係性を維持します。約束して守るということが、人間関係そのものです。
労働<仕事<活動
労働
労働とは生命の維持であり、自然に従う行動です。
仕事
仕事とは人工物を作ることで、非自然的な行動です。はかない生命維持活動の一部にある程度の耐久性を与えます。
活動
活動は無形の産物を生み出す行為です。材料を必要とせず、人間の本質から生み出された自然を超越します。
評価されたい
人間は他人から評価される行動をしたいと願います。評価自体を求めるのであり、評価から来る便益は活動の本来の目的ではありません。
活動という特権
活動の舞台
活動の舞台は公共の場です。現代では家庭が中心の生活になっていますが、政治など公の活動が中心になることは少なく、大衆は消費者の立場に甘んじています。
周囲への影響
活動によって、個人であっても世界に変革を与えることができます。その活動という特権を放棄して家庭の中で個人的幸福を求めがちになっているのが現代人です。
多数に利益を
周囲の人に利益をもたらすための活動は、あなたの喜びであり特権です。それを放棄して家庭や自分の部屋に閉じこもるのはその特権の放棄です。
動物の生
自然が与える快楽だけに満足するのは動物と同じであり、人間はそれ以上の生を生きるために活動を選択することができます。
あなたは何者?
言葉と行為
あなたが何者であるかは発する言葉と行為によって明らかになります。
一緒に過ごせば
その人がどんな人かは一緒に過ごすことで理解できます。味方になる必要もなければ、まして敵対する必要もありません。かえって直接影響しあう方が、その人のありようが見えにくくなります。
活動という行為
活動も行為の一種ですから、活動を見ればその人がどんな人なのかが見えてきます。ただし活動そのものだけを見て判断しようとするのではなく、あくまで活動とその人を紐づけてみることが大事です。行為の裏に何があるのかを想像することで理解がより正確になります。
暴露と栄光
活動をつうじてその人のありようが明らかになりますが、それを見るのは大きな楽しみです。その最高の評価の一つは栄光と呼ばれます。
他人が知る
活動を通じてその人が明らかになるとしても、それは他人についてのことであり、自分自身のことではありません。自分のことは分からないものです。
活動と愛
新たな始まり
活動は人生に新たな始まりを与えます。始まりとは変化のきっかけであり、人生の希望の光です。
非政治的
愛は非政治的であると同時に、公的生活に影響を与えるものです。愛を動機とした活動は人類全体への信頼ともなります。
歴史と活動
予想を超える
歴史とは個人の活動が社会の予想を超えて紡がれるものです。活動する本人すら予想もしていなかった業績を残すことで歴史が生まれます。歴史に名を遺すとは、個人の活動が社会の想像を超えることです。
個別性の放棄
現代社会では個人が個別性を放棄することが可能です。賃労働者として働くことで個人の活動を捨て、社会の一員として生きていく術を与えられます。しかしそこには、自分の人生の意味を見いだすことのできない、薄暗く狭い部屋の中に閉じこもるような、目標も生きる喜びも感じづらい環境があるだけです。
変化の種
生まれた人全てが、意外性という世界に変化を与える力を持っています。個人の活動が社会へと響くとき、必ず社会は変化して人は活動とその人生に意味を感じます。
労働者の価値
ある時会社の上司が言いました。こなしづらい労働をやりぬくからこそみなさんには価値がある、と。その言葉に私は強い違和感を感じます。価値のあるなしをあなが判定するのですか。なにをもって判定されているのですか。そもそも価値を判定すること自体が正しいのですか。価値がある人は評価され、ない人は責められ変化を求められると。労働者の方が会社や労働環境を価値あるものとして認識するとは考えていないという姿が感じられます。
2『ニコマコス倫理学』(紀元前4世紀ごろ)
この著書は良い人生を送るための指南書で、アリストテレスの息子であるニコマコスに向けて書かれました。アリストテレスの道徳哲学をよく示した著書でもあります。
著者紹介
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アリストテレス
- アリストテレス
- 前384年 – 前322年
- 「万学の祖」
- 古代ギリシアの哲学者。
- プラトンの弟子
- 科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた
- マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師
- 人間の本性は「知を愛する」こととした。
- ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。
- この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。
- 著作集は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学など
- これらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。
- アリストテレスのいう「哲学」とは現在の学問のほとんどを含んでいる。
- 名前の由来はギリシア語の「Ἀριστος」(最高の)と「τελος 」(目的)から
- 動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない
力の発揮
人の持つ力をアウトプットして他人から評価されるので、ただ力があるというだけでは意味がありません。
プラトンとアリストテレス
プラトンと形而上学
プラトンは実在や真理は見かけ上の世界を超越したところにあると言います。
アリストテレスと現実主義
アリストテレスは五感による認識で世界を理解しているとし、厳密に分析することにより事物だけでなく幸福や徳といった無形のもののあり様を明らかにしようとしました。
人間の正しいありかた
自然のあるゆるものには果たすべき機能があるとアリストテレスは考えます。それが木であれ人であれ、世界に対して果たすべき機能があるということです。
機能と形相
形相とは見た目のことで、見て取れる表面上の理解です。例えば木造船の形相は木で組み立てられた構造物ですが、当然船には水の上で人や荷物を載せて進むという機能があります。船を理解するには形相だけでなくその機能を知る必要があります。また人間は数十億個の細胞の集まりですが、その機能を理解してこそ人間を理解できます。
理性
人間には理性という特質があり、それこそが人間の機能の中枢です。この理性に従って生きる時、人間は動物以上の正しい生き方ができます。
生涯磨くもの
人の評価を左右するのはその人生をかけて磨き上げるものとその活かし方にあります。それは人によりけりで、楽器の演奏であったり彫刻の腕前であったりスポーツの技術かもしれません。
エウダイモニア
エウダイモニアは、幸福、良き人生、成功、繁栄といった意味合いを含むもので、アリストテレスの人生観上の指針になるものです。
快楽と動物
ただ快楽を求めるだけの人生は動物なみの生き方です。人が目指すべき人生の在り方は、自分をよく理解して正しく社会に対して機能させることです。そのために自分の特質を磨き続けて広く周囲に役立てることを考えなくてはなりません。
欲求の獣
ほとんどの人は自分の欲求が満たされる人生を望みますが、それでは獣と大差ありません。餌を求めて活動する獣以上であってこそ人間と言えます。
修養
究極の生涯とは、徳と結びついた行動によるもので、それは修養を積み技術を磨いて正しく発揮することです。
友情と共感
良い人生には友情が必要です。友情で思考を共有できるからこそ人生は充足していきます。また思考を共有することで友人の目標達成の協力が可能になります。もちろん自分の目標の達成の助けにもなるはずです。それは複数の幸福が友情によって結びついたり往来することを意味します。
行為、友情、幸福
思考して行為し、そこに人格が磨かれて表現され、共感と友情が生まれて支え合い、幸福へと至ります。
真の選択
随意と不随意という点から見た時、選択するという意味がよりよく理解できます。不随意に選んだ選択しは、振り返ってもなぜ選んだのかを説明しづらいでしょう。対して随意の選択は説明できます。理性をもって選択するということが真の選択と言えます。
正しい行為
正しい行為はそれ自体が目的であり、良い結果を必要としません。一方で何かを制作しようとする行為は結果が求められ、そこには技術的な巧みな操作が必要になります。正しい行為に技術も結果も必要ありません。
制作と貢献
人が働くのは社会に貢献するためであって何かを制作するためではありません。制作は消費者への供給と収益が目的であり、人は労働力となって制作を支えることが求められます。人としての正しいありようや人の幸福などは制作を要求する側が考慮しておらず、その対価である給与でもって報いるのみです。個人の幸福はその給与で個人的に実現すればよいということで、つまり制作は個人の幸福を生まず制作する組織に利益をもたらすことになります。
最高を発揮する
個人がもっている機能を最高に発揮することが個人の幸福につながるので、政策や規則などで個人の幸福を指図することには慎重であるべきです。まずは個人が自分の能力を自覚し、それを発揮できる環境づくりが求められます。
3『言語・真理・論理』(1936)
分析哲学と論理実証主義の優れた入門書です。
著者紹介
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「次回作などありません。哲学は終わったのです。」
A.J.エイヤー
- サー・アルフレッド・ジュールズ・エイヤー
- Sir Alfred Jules Ayer
- 1910年10月29日 – 1989年6月27日
- イギリスの哲学者
- 論理実証主義の代表者
- 親しい友人たちからは、「フレディ」(Freddie)と呼ばれる。
- 『言語・真理・論理』(1936年)
- 『知識の問題』(1956年)
- オックスフォード大学の論理学の教授
- 1970年にナイトに叙勲されている。
- 生涯に4度の結婚をしている。
- 無神論者。神の存在に同意を保留した。
- 宗教的な言語は文学的な戯言と一緒で証明できない
- 「神はいない」「神は存在する」は同様に無意味で、形而上学的という。
- 女たらし(womanizer)
- あるパーティーで、ナオミ・キャンベルに性的な嫌がらせをしている21歳のマイク・タイソンに出会った。エイヤーが止めるように言った所、タイソンは「俺に説教を垂れようというお前は何者だ? 俺はヘビー級の世界チャンピオンだぞ」とからみ、エイヤーは「私は、前ウェイクハム論理学教授だ。我々は、2人ともそれぞれの分野の世界的著名人なんだぞ。私は、こういうことについては話の分かる人間らしく語り合った方がいいと思うんだがね。」と答えた。エイヤーとタイソンはパーティー・トークを始め、ナオミ・キャンベルはその間に場を離れた。
真偽を問う
真の知識
事実に立脚したものだけが真の知識というのが論理実証主義で、形而上学とは論理的に対照的な立ち位置にあります。
文章の意味
文章が意味を持つのは、その内容に同意できる場合にのみです。
おそらく正しい
他者の意見に同意できる条件は、完全に正解ではなくともおそらく正しいと思えれば十分です。決定的に正しいと言うには厳格な検証が必要ですが、主張や意見を聞く人のほとんどは厳密な検証を行う気はありません。
道徳と情緒
道徳に関わる意見は感情から生じるものです。〇〇さんははいい人だ、という言うような、真であるか検証できなない道徳上の意見は感情表現の域を出ません。
検証できるか
意見が無意味かどうかは検証できるかどうかで決まります。確かめられない意見には価値はありません。
4『エゴ・トリック』(2011)
著者紹介
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ジュリアン・バジーニ
- Julian Baggini
- 1968年 –
- イギリスの哲学者。
- 一般向けの哲学入門書を数多く書いている。
- 『100の思考実験――あなたはどこまで考えられるか(The Pig that Wants to be Eaten and 99 other thought experiments)』(2005年)。
- 雑誌『The Philosophers’ Magazine』の共同創設者にして編集主任。
- 1996年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンから博士号を授与された。
- 学位論文のテーマは人格の同一性の哲学
自己は構造物、トリック
自己や人格は思考の集合体です。断片的な記憶が脳内に蓄積されているところから統一性を見いだして、それを自己や人格と称しているだけの構造物です。
トリックの成功
人格とは統一性や単一性をもつものですが、それを感じるのはそう考えるに至ることに成功しているからです。自己や人格はどこにも存在すると明言できないのに、確かにあると確信できるのは、自己を構築する技術がその機能を果たしているのです。
知覚の束
デイヴィッド・ヒュームの表現では、人格は知覚の束です。人間の感じる自己とは知覚の集合にすぎません。
存在しない自己
脳のどの部分にも人格をつかさどる部位は見つかっていません。そもそも人格という概念が存在しないモノを指していると言えます。
自己というストーリー
記憶や知覚を寄せ集めてつながりを作り、それを自己とすると考えられます。いわば断片的な情報から組み立てられたストーリーが自己です。
人格より環境で
人間の思考や行動は人格に強く影響されると考えられがちですが、実際には環境に強く左右されます。
服従実験
電気ショックを他人に与える指示に従うかどうかは、指示を受けた当人の人格よりも指示する人間との関係性や周囲の状況に強く影響されます。承認欲求を満たすためであれば優しい人格の人でも残酷な行為に手を染めます。
監獄実験
また役割を果たすためにも人間は残酷な行為を行います。支配下の囚人には残酷な仕打ちを平気でできてしまいます。
どこにいるか
人格を決定するのは環境であり、どこにいるかということで、他者との関係性が人格を決めているのです。
一貫性という縛り
自己に統一性や一貫性を見いだそうとするのは一種の願望です。まとまりがなくても自己は存在できるので、強いて過去から未来への連続性を見つける必要はありません。
5『シュミラークルとシミュレーション』(1981)
著者紹介
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ボードリヤール
- ジャン・ボードリヤール
- Jean Baudrillard
- 1929年7月29日 – 2007年3月6日
- フランスの哲学者、思想家。
- 『消費社会の神話と構造』(La Société de Consommation 1970)は現代思想に大きな影響を与えた。
- ポストモダンの代表的な思想家。
- 『対象のシステム』を発表し、フェルディナン・ド・ソシュールの記号論を「貨幣は、一定の諸機能において、それ自身のたんなる記号によって置き換えることができる」といったマルクスの価値理論に取り入れた画期的な視点で脚光を浴びる。
- 1977年、『誘惑論序説――フーコーを忘れよう』を発表。ミッシェル・フーコーの怒りを買う。
- 1986年、ナンテール教授を辞任。
- 2007年3月6日、パリの自宅で死去。77歳。
- 1990年代には写真家、写真評論家としても活躍し、写真評論集として『消滅の技法』などがある。
- 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件前から、ワールドトレードセンターのツインタワーについて考察し、クローンやディズニーランド、湾岸戦争からはサダム・フセインのイラクとイスラム教のテロ、グローバリゼーションとアメリカナイゼーションを題材にアメリカや世界自身が持つ問題を積極的に論じた。
- ボードリヤールの哲学は、芸術の分野に影響を与え、1980年代のニューヨークで台頭したシミュレーショニズムの精神的支柱になっている
- 映画マトリックスのウォシャウスキー監督は、主演のキアヌ・リーブスなどキャスト、クルーのほとんどは『シミュラークルとシミュレーション』を読まされた。映画の中でも、『シミュラークルとシミュレーション』が登場するシーンがある。2作目の制作に入る前に、監督はボードリヤール本人に助言を求めたが、ボードリヤール自身は拒否したという。
ハイパーリアル
ハイパーリアルとは、ボードリヤールの言うメディア中心の資本主義秩序です。紙幣や株式がその良い例です。
反応装置
現代社会における個人はメディアが発信する情報に反応する装置です。広く発信されるイメージと記号を受信して反応する装置の集合が社会になっています。
共有
共有できてこそ存在していると言えるのであり、たった一つで共有できないものは存在しないも同然と見なされます。
地図が現実
地図が現実であり実際の世界が抽象へと逆転しています。個人は地図という現実に世界という抽象の一致を期待します。
博物館はマウント
他の文化や歴史を博物館にすることは、現在に生きる私たちがその文化や歴史を所有していることの証明になります。自己の優位性を個人的する行為であり、いわば他者に対するマウントです。世代論も同じくこれと同様だと言えます。
ディズニーランドという目くらまし
ディズニーランドはシュミラークルの代表例です。本物と偽物の間には違いあると思い込ませる手法であり、ディズニーランドという幻想の世界を存在させることでその外の世界が本物の世界であると思わせることに成功しています。
巨大で無原則な
資本主義は巨大で無原則です。経済を中心として社会活動が行われることに疑いをもたないように工夫がされています。経済的な指標や需要と供給のバランスなどを理由に、善悪の判断を置き去りにしています。
権力を生むのは
システムが権力を生みます。社会的に権力を持つ人は、社会というシステムが生む権力を手にしている人です。人が権力を直接生み出すわけではありません。
神と生贄
システムが権力を生み出す神であり、システム維持のためには時に生贄が求められます。権力をあからさまに行使して目立ちすぎた者は、システム存続の生贄として退場を求められます。
ハイパーリアルの例
テレビ、SNS、映画や漫画、バーチャルアイドルもハイパーリアルです。現実をうたうものであってもそこに真偽や善悪もなく、また起源も根拠もありません。ただ情報を消費したい欲求のある大衆へと吸い込まれていく、無限に増殖する情報です。
同調が価値
ハイパーリアルにおける価値基準とは、情報から受け取るストーリーやイメージに自分自身を同調できるかどうかです。モノを買ったり、情報に反応するのは、りはハイパーリアルに快適にとどまるためです。
幻想の自由意志
私たちはテクノロジーと消費者文化に取り込まれた、幻想の自由意志で生きる反応装置です。
完全犯罪
主体としての私など存在せず、客体である世界がハイパーリアルとなった時すでに客体が主体を飲み込んでおり、私にできることはハイパーリアルの世界で心地よく生きる方法を模索することだけです。ハイパーリアルが世界のシステムとして君臨することで完全犯罪が成立し、その権力の簒奪が実質無罪となりおおせたのです。
6『第二の性』(1949)
ボーヴォワールをサルトルのパートナーから著名人へと変えた著書。当時のフランスをもっとも騒がせる女性となった。
著者紹介
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ボーヴォワール
- シモーヌ・ド・ボーヴォワール
- Simone de Beauvoir
- 1908年1月9日 – 1986年4月14日
- フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト活動家。
- 20世紀西欧の女性解放思想の草分け
- 『第二の性』(1949)
- ゴンクール賞を受賞した自伝小説『レ・マンダラン』(1954)
- 1970年代に人工妊娠中絶の合法化を求める運動
- 女性解放運動 (MLF)を牽引した。
- 在学中に出会ったジャン=ポール・サルトルとは、互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶として生きた。
- 1954年にゴンクール賞
- 1975年にエルサレム賞、1978年にオーストリア国家賞を受賞。
- 2008年、シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞)が設立され、アヤーン・ヒルシ・アリ、マララ・ユスフザイ、ミシェル・ペローらが受賞している。
女であること
生理的運命
女性の生涯は雌の機能に閉じ込められています。生理的運命とでもいうべき、体の機能に左右される人生を余儀なくされます。
男に劣るか
女性であるというだけで、ボーヴォワールはサルトルよりも劣ると評価されていると感じていました。この著書、第二の性を執筆しながら、自分が女であるという事実を再発見し、驚いています。
男の他者
女性は男にとっての他者です。概念的に男性とは別のカテゴリーの存在であり、男と同列に扱うことをしません。
環境と人間
白人男性
世界は白人男性が中心であり、またそうあるべきだと主張する人は現代においてまれかもしれません。しかし有色人種、ユダヤ人、女性の能力が社会的に発揮されるのを好まない白人男性は多いかもしれません。
能力と機会
能力を発揮するにはその機会が必要です。また能力それ自体を発展させるにはさらに多くの機会が必要でしょう。しかし能力発揮の機会が一部の人に管理されている場合、自分にとって都合の良い場合を除いて機会を奪い去ることでしょう。それも、奪ったという痕跡を残さないように。
機会の価値
機会とは、実はなによりも高い価値をもつのかもしれません。機会がなければ人間は何を成すこともできません。もしも機会をみつけたら、最大限に大切にし、機会が見つからないなら見つかるまで探すべきです。
与える機会
機会を与える、ということは大きな意味があります。与えられた機会には、どんなコストを支払ってでも答えるべきです。もちろん、その機会に先に何も求めるものがないのなら話は別ですが。
機会の占有
機会は占有されがちです。機会を占有できれば持続的な成功が約束されるからです。機会を占有しようとしている輩には注意が必要です。人の人生にに置いてもっとも価値が高いであろう機会を、何食わぬ顔で私欲のために利用するからです。
機会と堕落
機会を与えられないものは堕落します。能力の発揮の場がないと感じると活力を失うからです。機会を与える与えないの権限を持っている人は、その人は他者に対して社会的な生殺与奪権をもっていることになります。今の環境で良いと感じる人は良いでしょう。しかしもしも悪いと感じているなら、その生殺与奪権の範囲外に出るべきです。
女性の立場
劣等感への特効薬
劣等感を感じやすい男性ほど、女性に対して横柄な態度をとります。相手が女性であることは、男性にとって安心を呼び起こす特効薬です。
卵子の下僕
女性は自分自身よりも卵子の要求によって行動や思考を制限されます。生命を受け継ぐことは多大な重荷であり、社会的な行動もこの重荷により大きく制限されます。
女の病気は
女性の病気の原因は、感染などの外的な要因よりもむしろ、負担の大きい生殖機能に関連するところにあります。その負担と影響は肉体的にとどまらず、精神的にも神経過敏や情緒不安定として現われます。それに対して男性はというと、その生殖機能が私生活や社会的行動の妨げになることはまずありません。
負担の分散
男性には女性の負担を最大限肩代わりする義務があります。生命を受け継ぐという仕事は人類全体の仕事であり、それを男性が女性に一任するというのはあまりにも身勝手な考えです。
社会次第で
社会のありかた次第で、男性と女性の立場は変化します。例えば戦争の絶えない地域では男性が必要とされますが、逆に戦争のない地域であれば男性の優位性はなくなります。
女の誇り
男性であることに誇りを持てとは幼少期によく言われる教育でしょう。一方で女性には誇りという概念を当てはめることはまれです。教育内容からして女性の能力の発揮を阻害します。
気に入られるために
独立を放棄することで、女性は男性にたよって気に入られます。独立した女性を男性が敬遠するのは自分の出番がないからです。
恐れと欲求
男性は女性を恐れるとともに欲します。男性にとって女性が他者であることをこのことが意味しています。
女性の優位性
男も女も女性の子宮から生まれます。女性が人類を存続させているという事実に男性は向き合いたくありません。
7『道徳および立法の諸原理序説』(1789)
著者紹介
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ベンサム
- ジェレミ・ベンサム
- Jeremy Bentham
- 1748年2月15日 – 1832年6月6日
- イギリスの哲学者・経済学者・法学者。
- 功利主義の創始者
- ベンタムとも。
- 功利主義の理念は、19世紀前半、インドにおけるイギリス東インド会社の勢力圏で用いられた行政法体系に相当な影響を与えた[3]。
- 人物
- 法学を功利主義の立場から批判的に論じた。
- 後世の国際法に影響を与える。
- codify(法典化する)
- international(国際的な)などはベンサムによる造語である。
- maximizeやminimizeなどの多数の造語あり。
- パノプティコンの提唱者としても有名。
- ジョン・スチュアート・ミルの実質の師匠。
二人の支配者
人間を支配するのは苦痛と快楽です。人間の行為を決定するのはこの二者です。
飴とムチ
政府の仕事は報償と刑罰によって、人の行為に社会的に報いることです。
社会保障制度の父
貧困者への給付制度、下水の整備、学校、監獄など、産業革命時代に社会の改革に取り組んでいます。
反感と共感
人の行為を決定するものとして反感と共感があげらます。感情に従って生きるのではなく功利性のような普遍的なものにもとづいて人は生きるべきです。
善悪
人間は因果関係を軽率に決めつけることが多いので、善悪を正確に判断することは難しいものです。世間一般に言われる善悪は、たんに好き嫌いの延長でしかありません。
為政者の盾
道徳が人の私欲を覆い隠す格好の詭弁となりえます。世のため人の為に批判を押し切って政策を断行できるのは、たいてい為政者の道徳観を振りかざした結果です。
自由の采配
立法者は個人に対して最大限の自由を保障すべきですが、その一方で他者の自由を阻害するような自由の抑制に努めねばなりません。実質の弟子であるジョン・スチュアート・ミルはこの点を自身の著作「自由論」でさらに発展させています。
幸福の多少と評価
他者を個人的に評価する時、たいていは相手が自分をどのくらい幸福にしてくれるかを基準にしています。逆に言うと、自分を幸せにしてくれるならたいていのことは許容するという考えにいたり、それは周囲を含めて考えた時に功利性を損なう誤った判断となります。
コモン・ロー
判例が以後の判決を拘束する判例法。制定法に対する一つの法体系。判例法と制定法は共存可能で、その場合は制定法が優先される。
コモン‐ロー【common law】
1 英国で、通常裁判所が扱う判例によって発達した一般国内法。一般法。
2 ローマ法・大陸法などに対して、英米法の法体系。
慣習で決定しない。
意思決定は慣習ではなく理性で決定すべです。
一人として
どの一人も一人として数え、二人として数えてはなりません。無論ですがゼロ人もダメです。
決定の基準
良い、多い、長い
良いことを、多く、長くなるように決定すれば、判断を誤らずにすむでしょう。
8『創造的進化』(1907)
ウィリアム・ジェームズが絶賛した著書。
『創造的進化』の概要
- 1907年に第三の主著『創造的進化』を発表する。
- 当時人口に膾炙していたスペンサーの社会進化論から出発し、『試論』で意識の流れとしての「持続」を提唱した。
- 『物質と記憶』で論じた意識と身体についての考察を生命論の方向へとさらに押し進めた。
- ベルクソンにおける意識の持続の考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで推し進めたものといえる。
- ダーウィンの進化論における自然淘汰の考え方では、淘汰の原理に素朴な功利主義しか反映されていない。
- はるかに複雑かつ不可思議な、生を肯定し、生をさらに輝かせ進化させるような力、種と種のあいだを飛び越える「タテの力」、「上に向かう力」が働き、突然変異が起こるのである。
- そこで生命の進化を推し進める根源的な力として想定されたのが、”élan vital”「エラン・ヴィタール 生命の飛躍(生の飛躍)」である。
著者紹介
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ベルクソン
- アンリ=ルイ・ベルクソン
- Henri-Louis Bergson
- 1859年10月18日 – 1941年1月4日
- フランスの哲学者。
- 同時代の哲学者が悲観的で無味乾燥な学術論文を記すばかりの一方で、ベルクソンは読みやすく華々しい文体で人間の創造性や自由意志を主張して人気を博した。
生命の躍動
エラン・ヴィタル
人間には進化を推進する内的な力があります。ダーウィンの進化論は環境による種の自然淘汰ですが、生物の進化を機械的に取捨選択されるものではないとベルクソンは考えます。エラン・ヴィタルとは人間が内に秘める進化への道を開く力であり、それが進化の真の根源であるとベルクソンは信じています。
概念の進化
進化するのは形態だけではありません。進化するには概念からの変化が必要で、それは創造的衝動とも言うべき圧力です。
予測不能
生物は次に何をするかは予測不能です。生物のデータや環境の分析からは多くのことが予測できるでしょうし、ある程度のある範囲に限っては未来予測さえ可能かもしれません。それでも、生物の次なる一歩がどこに向けられるかを完全に予測することは不可能で、それゆえに生物の行く末を予測することも結果的に不可能と言えます。
絶え間ない創造
生物の、特に人間が内包するエラン・ヴィタルは過去を継承しつつも新たな創造を求めています。それは未来を変えるエネルギーであり、人間のすばらしさを裏付けるものでもあります。
反復ではない
例えばランニングを単調なスポーツととらえる人は少なくないでしょう。実際にほぼ同じ動きを長時間にわたって繰り返すランニングは無味乾燥で修行にも似たスポーツととらえられがちです。しかし厳密には同じランニングが二つとして存在しないのもまた事実です。たとえ限りなく同じであっても極小の違いがその一歩一歩には存在し、もちろん他人との違いはそれ以上にあるでしょう。最初の1kmと最後の1kmでは、体調も異なりますし精神状態も違うことでしょう。違いに意識をを集中する時、それがどんなに小さくとも変化は存在します。どんなに似ている行動でも、常に変化を伴う進化の過程なのです。
違いが希望
同じことの繰り返しに見えても、小さな違いは必ずあります。その違いを意識する時、毎日は単調や退屈という軌道から逸れていきます。小さな違いこそが、創造的進化のワンステップです。
原因と結果の不可逆性
結果から原因をたどることはできても、その逆はできません。原因は結果が生まれたあとに原因となるからです。
分析と科学
科学は事象を分析して法則性を見いだします。小さく分けて分類して規則性を見つけてはそれはよりどころに次の分析を進めます。科学とは分けて整理の方法を確立しようとする思考です。
全体と理解
真の理解は全体的です。部分的な理解は全体としての矛盾を示すもので、それらを無視した理解は不完全です。理解とは関連するもの全体を視野に収めた立場で進めるべきものです。
流動性も全体の一部
時間は流動的なものの一部です。時間を切り取ることは可能ですが、そこに大きな意味はありません。時間とは一連の流れそのものであり、時間を理解するにはその流れ全体を視野に入れる必要があります。
流動性と知性
知性は流動性を認めません。知性はすべてのを凝固させようと働くため、明確な目的やシステマティックな理解へと置き換えてしまいます。流動性をありのままに受け入れるのは人にとって大きな負担であり、その負担を軽減するために単純化させる、それを世間一般に知性と呼びます。
自我も流動性の産物
自己意識も流動性の産物です。雑多な記憶や感覚が膨大にある中から自分という姿を凝固させて自我を形成しています。そこに明確な根拠はなく、反証を試みれば即座に瓦解する程度の構造物にすぎないのが自我です。自分が今なぜここでこうしているのか、その理由を説明することは可能であっても、そうでなくてはならなかった理由が見つからないことがほどんどです。
単純と抽象
人間は単純な思考と行動を好みます。しかしそればかりでは不満をため込んでしまうという矛盾した生き物です。時に漠然とした抽象論に身をゆだねたい衝動に駆られて夢を追いかけたくなりますが、現実はそれを許しません。社会における自分の現在のありように縛られていて、そこから自由にリスクをとって思考し行動することは、どう見てもバカのすることに見えてしまいます。単純で無鉄砲にならない限り、自分の生き方を変えることはできません。
知性と選択
知性は計画して選択するという思考を人間に与えますが、同時に感覚的に本能的に行動する力を奪います。知性とはリスクを下げる働きであり、多くを望まないことです。対して本能はリスクよりも衝動に従い行動することで自由の幅を広げていきます。人間は本能を切り捨てることで生き残ってきた生物であり、その代償として不幸のうちに長生きする運命を選択したことになります。
不幸を遠ざけると
不安や恐怖に包まれた状態を不幸とするなら、人間はそれを避けて生きる生き物です。その一方で幸福を求めるのですが、不安や恐怖を避けた時点でほとんどすべての選択肢を捨てているので、結局幸福になる選択肢などみつからないという悲しい状況にいる自分に気づきます。
9『全体秩序と内蔵秩序』(1980)
著者紹介
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デヴィッド・ボーム
- デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム
- ヘブライ語: דייוויד ג’וֹזף בוֹהם、דוד יוֹסף בוֹהם
- 英語: David Joseph Bohm
- 1917年12月20日 – 1992年10月27日
- アメリカ合衆国の物理学者
- 理論物理学、哲学、神経心理学およびマンハッタン計画に大きな影響を及ぼした。
トラブルの根源
思考が発端
人間の思考の中にこそ、トラブルの根源があります。原因を思考の外に探しても見つからないのは当然ですし、見つかったとしてもそれは真の原因ではありません。トラブルを生んでいるの人間の思考そのものですから、はじめからそのつもりで原因をたどっていくのが解決への最短距離になります。
世界と分割
一つの全体
世界は一つの全体であり、分断された個々の集合ではありません。互いに作用しあう分割された単体たちだという世界の認識は古典的な思想です。
個々の人間
人間についても全体の一部と考えるのが妥当です。個々の人間が互いに作用を与え合うという考えは非の判断を誤らせるものであり危険をはらんでいます。個人は全体の影の一端にすぎません。
非局所性
量子物理学における非局所性とは、二つの粒子が距離に関係なく双子のように振る舞うというものです。これは部分などなくすべてが一つの総体の内であることを示唆しています。空間すら全体の一部であり、無ではないのです。
粒子とは
粒子とは微細な物体の合成物ではなく、エネルギーの一形態です。そうとらえてはじめて粒子の不安定な存在に説明がつきます。粒子は空に浮かぶ雲のようなもので、単独で存在する空間との境界があいまいな存在です。
雲と空間
人間の存在もまた雲のようです。どこからどこまで自分であるのか実は曖昧で、独立した個のようであってもその実、周囲の環境にその存在が溶け込んでいます。単体で確固たる存在としてはいられません。雲が空間との境界が曖昧であるように、人間の生も世界の中では曖昧なものと言えます。
知的看取
思考が記憶にもとづいているものである場合と、条件付けに基づく場合に分けられます。自由に思考しているつもりでも、無意識に思考に縛りを設けていることはよくあり、それに気づいて新しい思考へと一歩踏み出すことを知的看取といいます。
周波数と知的看取
ラジオの電波に周波数を合わせることで音声が聞き取れるように、知性の連続的な流れの中から、的看取をくみ取ることができます。周波数といういわば知性の秩序ともいうべき同調があって、意味のある思考と行動が可能になります。
物質を求めて
古典的な思考は物体を探し求めます。見つけるべきモノが世界のどこかにあり、それを発見しようと躍起の努力を重ねるのが古い科学ですが、全て一つであり個々はその投影でありその時に見せる一形態に過ぎないという解釈が科学のとるべき姿勢です。
海上の波
空間が莫大なエネルギーを持ち、物質はその一端であり一つの様相であることは、例えるなら海上の波です。海という大きく満たされた総体の表面に現れる微細な励起が波ということで、人間が目を引かれるのは表面で目立った動きをするものにすぎません。
10『現代世界で起こったこと』(2002)
著者紹介
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ノーム・チョムスキー
- エイヴラム・ノーム・チョムスキー
- Avram Noam Chomsky
- 1928年12月7日 –
- アメリカ合衆国の哲学者、言語哲学者、言語学者、認知科学者、論理学者
- マサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授 (Institute Professor) 兼名誉教授
- 妻は言語学者・教育学者のキャロル・チョムスキー(2008年死没)。
善悪の基準
戦勝国の基準
ニュルンベルク裁判での犯罪であるか否かの基準は、戦勝国がしたかしなかったか、でした。戦勝国がしたことは善であり、しなかったことが悪として裁かれます。何が正しいかでは、自分たちが正しいとして敗戦国を裁いています。戦争に勝つということがどれだけ強い発言権を持つかということをよく表しています。
ニュルンベルク国際軍事裁判
- 第二次世界大戦において連合国によって行われた
- ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁く国際軍事裁判
- 1945年11月20日 – 1946年10月1日
- 日本の極東国際軍事裁判(東京裁判)と並ぶ二大国際軍事裁判の一つ。
資本主義社会の勝者
投資家と政治
政治的にもっとも優遇されるのは投資家です。個人的人権でも自由や独立でもありません。資本主義社会ので頂点に立つのは最も有力な投資家であり、政府はそれに付きしたがう組織にすぎません。
知識人とは
知性的な仕事をする人ではありますが、知識人とはあらゆるものを疑問視または懐疑的に見る人のことです。それは妄信して猛進しないということでもあります。
テロリズムと防衛
テロリズムとは自国民以外がする行為であり、自国民が行う場合は防衛と呼ばれます。どちらも他者を破壊する行為ですが、言葉は自分たちに都合よく用いられます。
政治的言語の特徴
政治的に用いられる言葉は聞く人の思考を妨害する性質を持っています。政治的言葉は発信者の都合を通そうとするものであり、それを妨げる思考を遠ざける性質を発揮します。
支援と侵害
ある国が他の国を支援するのは自国の利益につながるからであり、逆に利益を損なう場合には干渉したり侵害しようとします。民主主義を広げるとか守るとかいう政治的な言葉は隠れ蓑にすぎません。他国の政府が悪辣であっても自国に利益をもたらすのであれば支援し、正当な政府であっても自国の利益を損なうなら解体を図ります。
金持ちと政策
社会の中心は経済でありお金であるため、社会の制度は金持ちを幸せにし続けることを基準に運営されていきます。
自由と創造性
自分の仕事を自分で管理できない人は賃金奴隷にすぎません。自由と創造性を発揮できる生き方が最重要になるべき思考の軸であり、それ以外では人に幸福な人生はありません。
経済の軸
資本そのものにとって最善であるように経済の体制は作られます。資本のもとで働く人たちの観点は置き去りにされがちであり、それでいて、そうではないように見せかける努力を怠りません。
理想の産業
労働者が会社を所有して市場の中でコントロールされるのが望ましいと言えます。産業が国有化されれば官僚が権力を握るだけであり、現状の資本家主導の産業も労働者から最大限搾取するだけの体制になりがちです。
あきらめと腐敗
政時の腐敗は有権者のあきらめが生みます。有権者の意志とは関係のないところで政策が決定され、それで納得するしかないという考えに染まることで、政治の腐敗は加速します。
依存と政策
アメリカの外交政策はできるだけ多くの国をアメリカに依存した状態におくことです。今は中国も同様の外交政策を行っています。資源の豊富なアフリカ諸国は恰好の標的になります。国力の小さい国が独立することは強大な国にとって国益を損なう事態です。
大人しくしろ
エリート層や支配層が自国民に求めることは、身分相応に大人しく言うことを聞くことであり、決して自立した思考や行動を起こすことではありません。
成長するな
自国民には成長しすぎてもらっては困るというのが支配階層の本音です。そのため最低限の生活の援助は惜しみませんが、必要以上の知力や行動力を助長する制度は作ろうとしません。必ず支配しやすいレベルの人間の領域に押しとどめるような社会政策を行います。
知性の証
自分が如何に無知であるかを告白することは知性の証です。人間の行為や動機の説明は難しいものであり、科学においても実際の世界のありようをほとんど説明できていません。人間が如何に無知であるかを受け入れたうえで思考し行動することが知性ある姿勢です。
白人男性という特権
欧米社会における白人男性とは、一種の支配者層です。白人男性を迫害することは難しく、実行すれば支配者側にダメージが回ってきかねません。白人男性が声を上げることで社会の在り方への疑念を広めることができます。
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